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大越 桂さん 講演会
前にご紹介した「きもちのこえ」を書いた
24時間全介助で暮らす、
大越桂さんの講演会に行ってきました。

桂さんの本から、ブログから、
鋭い感性、選び抜かれた言葉たち、
ウイットに富んだユーモアなど
桂さんの内面の豊かさは、十分感じていたけれど
声の出ない桂さんの「講演会」って
どんなふうに進められるのだろう?
全く予想がつかないまま
ただ、あの桂さんに会いたいという気持ちだけで
行ったのでした。



桂さんの横に、桂さんのお母さんが座り
小さなホワイトボードにペンで桂さんが書いていくのを
お母さんが”通訳”して読んでいく、
という形で進められました。

最初の「みなさん こんにちは」という挨拶は、
お母さんが、ボードをみんなの方に向けて
桂さんの書いた文字を見せてくれましたが、
その後、本格的なお話が始まると
いちいち前の字を消すでもなく
ほとんど話すのと変わらないスピードで
桂さんの手が動き、お母さんが代読していくので
えっ、文字はどうなっているの?と思っていました。

すると、最後に真っ赤に(赤いペンで書いていたので)
もじゃもじゃになっているボードを
見せてくださり、実は、もうボードや紙にかかなくても
手の動きだけで、書こうとする文字が読み取れるとのこと。
ボードはそれを確認するためのもので、
文字の上にまたどんどん文字が書かれて、
最後は真っ赤になっていたのでした。

講演の後の、「質疑応答」では、ボードなしに
お母さんが直接桂さんの手を、自分の手のひらで動かすことで
ちゃんと「応答」できていたのでした。
ここまでになるまでに、桂さんが、どれほど多くの字を書き、
お母さんがそれを読み取ってきたのだろうと、
そのことにも圧倒される思いでした。

勝手に動いてしまう桂さんの手は、
途中でボードからはずれて、あっちへこっちへ
伸びてしまいます。それをボードに戻しながら
40分もの内容のお話を書いていった桂さんと
それをサポートするお母さんの労力は大変なもので
この日の桂さんのブログには、「筋肉痛」になったと
書かれていました。

この会は、みのじさんが関わる
「手をつなぐ文庫の会」が主催ということもあり
副題には「えほんのちから」という言葉がついて、
桂さんのお話は、これまでの歩みなど
「きもちのこえ」の本と重なる内容も多かったけれど
そこに絵本との関わりをからめて
どれほど絵本が桂さんの心の栄養になっていたかを
小さい頃のエピソードから、
死を身近にして不安が大きくなった時出会った本など、
いろんな「気づき」のきっかけになった本も
持ってきてくださり
本の力の大きさを、語ってくれました。

療育施設や養護学校では、
重度の子どもに対しては、
どうしても体を動かす遊び、授業が多く
絵本などを読んでもらう機会が少ないのが残念だったことは
桂さんの本にも書いてありましたが
そのことを改めて聞くと
そういえば、最近ちゃんとアイに絵本を読んであげていないなあ、
と反省させられました。


桂さんは、お母さんが毎晩寝る前に絵本を読んでくれて
やはり、そういうのが、今の豊かな言葉や想像力を
育んだのだろうなと思います。

未熟児網膜症でよく目が見えない桂さんでしたが
「たまごのあかちゃん」という絵本だけは
はっきり色が見えて、目の動きがついていったので
お母さんは、はじめて「見てる!」とわかり
それまでは、自分の「桂に何かしてあげている」という
自己満足のためにやっていたのが
桂さんもちゃんと見てくれていると知って
すごく嬉しくて、何度もページをめくったそうです。
そのことを桂さんは、「ほんとしつこい!」と言って
会場の笑いを取っていました。

こういう親子のやりとりで笑わせられた場面は
何度もあり、お母さんが子どもの気持ちに気付かず
良かれと思って、いろいろ押しつけたことや
絵本を読みながらも、疲れてすっとばしたことなど
当のお母さんが通訳しながら言うのに
お母さんの悪口を書いているので
お母さんが「もうっ」という顔を、桂さんに向けながら
通訳しているのが、いい親子関係が垣間見えて
何ともユーモラスでほほえましかったです。

「きもちのこえ」の本の中にも、そういう箇所が
いくつか出てくるので、
本を読んでくれた人は、そういう桂さんの
ユーモアのセンスをおわかりかと思います。
お母さんは、桂さんの主催する「あとりえ・ローリエ」の
「事務員」ということなので、
ブログでは、よく事務員という呼び方で出てきますが、
やはり何を言っても安心なお母さんだからこそ
桂さんも”ダシ”にして、笑いを取っているようです。
(桂さんのブログを読むと、ちゃんと意識して
 笑いを盛り込んでいたのがわかり、さすがと思いました)

お母さんとの喧嘩も、お母さんの通訳でするという
ヤヤコシイ状態ですが、
母子ゲンカができるようになったことも
二人にとっては、嬉しいことなのですね。

お母さんのことを「のりこ」と名前で言う桂さん。
こうして言葉で伝えられるようになった最初の頃は、
それまでずっとがまんしてがまんして
いつも待つ、待つ、待つ、待ちくたびれて
自分の中にため込んできた怒りや不満が爆発して
ある日「のりこがにくい」と書いたそうです。
さすがにお母さんはびっくりして、泣いてしまったとか。
お母さんが泣く人とは思っていなかった桂さんも
驚いて、少し言い過ぎたかなと思ったそうです。
その後お母さんは3日間介護ストライキし
桂さんの方も意地を張って、吸引なども呼ばなかったとか。
まあ、その後は、喧嘩しても、トイレと吸引だけは
保証されるということになったようですが・・・

そんな歩みもまた、お互いの気持ちが
どれだけ通じているか手探りの時期を思えば
本当に嬉しいことに思っているのが
伝わってきました。

やっぱり一番身近で、桂さんの手足になり
ここまで表現することを導き出したのは、
なんといってもお母さんの力が大きかったと思います。
もちろん、直接きっかけを与えてくれた学校の先生や
命を支えてくれるお医者様や看護師さんたちなど
いろいろな人の力もみんなつながってのことですが。
でも、やっぱり、お母さんが桂さんに注いできた
愛情と労力は、簡単には真似できないくらい
膨大なものだと思います。

桂さんも、年頃の娘さんらしく
母親に反発したり、客観的に批判したりしながらも
そのお母さんの偉大さ、存在のありがたさを
よくわかっているからこその軽口なんですよね。
素敵な親子だと思いました。

桂さんのお母さんは、ほんと若々しくおきれいで
明るくて素敵な方です。
桂さんのユーモアのセンスや知性は、
お母さんゆずりなのでしょう。
そのお母さんの姿を見るだけでも、励まされます。

最後には、パソコンで、桂さんの活動の様子
作品などを紹介してくださり、
私が桂さんの詩とは知らずに
映画「オハイエ!」を見て、一番心に残った歌詞だった
「手」の歌を聴かせてもらって終わりました。
この講話の構成も桂さんが自分で考えたそうですが
本当に、笑いあり涙あり、メリハリがきいて
ちゃんと副題の絵本の話を盛り込みながら
まったく飽きさせない、素晴らしいお話で
内容も演出もバッチリ!!
桂さんは、これから、仙台にとどまらず、
全国の、いや世界中の、多くの人に
どんどん知ってもらうべき存在だと
確信しました。

質疑応答では、桂さんの小さい頃入院していた病院の
保育士さんだった人、
桂さんが普通の小学校に通った時の同級生のお母さん
(実は、それがキッズパワーのエリさんなんです!)
など、いろいろ「実は・・」と関わりのあった人が
昔のエピソードを話してくれたり
感想を述べてくれて、さらに感慨深いものとなりました。

そして、最後の最後に、桂さんからのリクエストで
みのじさんが「たまごのあかちゃん」と
もう一つ、桂さんが死が身近に迫って
大きな不安で押しつぶされそうになった時に
ガン患者の人から薦められたという絵本
「いのちの時間」を
(こちらはみのじさんも初見だったそうですが)
朗読してくれて、さらに素敵な会になりました。

この講演会には、みのじさんが声をかけてくれた
ダウン症関係の人(いつもの役員仲間)の他に
母子通園で一緒だった、マザーリーフをくれたYちゃんママや
何人かの顔見知りも来ていて、久しぶりに会えたのも
また嬉しいことでした。

そもそもみのじさんは、桂さんのお母さんが
小学校の教員をしていた学校に、
みのじさんのお子さんたち子が通っていたという縁で
桂さんが生まれて、学校を辞めることになった時の話を、
長男から聞いたのを、覚えているそうです。
そして、その後、桂さん親子が、みのじさんの文庫に
何度か訪れたということで、ご縁がつながったのですね。

エリさんもですが、こうして身近な人が
桂さんとつながっているというだけでも
なんだか嬉しくて、
人と人のつながりの不思議さ、
偶然であり必然である出会いというのを
改めて感じていました。

とても心が洗われ、人の可能性の大きさに
夢を希望を与えられた講演会でした。

帰ってから、思わず、アイが話しかけてくる
一つ一つの言葉がいとおしくなり
こんなに発信しているのに、私はどれほど
きちんと耳を傾けてやっていただろうと思うと
なんだか、その日は、妙に優しい母になって
いつも適当にあしらうような場面でも
「なあに?」なんて、ニコニコ向き合ったりしちゃいました。
これが続けばいいのですが、翌朝にはまた
「もうっ、いいから、早くして!」とやっていました・・・
なかなか良き母になろうとしても、長続きしません・・

でも、久しぶりに寝る時、絵本を読んでみました。
最近兄ガメは、自分で好きな本を読むようになって
(目が悪くなりそうで、それもどうかと思いますが)
私が読み聞かせすることもなくなってきたら
今度はアイが、読んでと持ってくるのですが
それがいつも「しまじろう」の、しかも小さい時の本ばかりで
つまんないなーと思って、2・3ページ読んでは
「もう眠いから終わり」なんて言って、いい加減にやってました。
昨夜は、アイが持ってくる前に、私が手近にあった
絵本を取り出して読み始めたら
別に「こっちがいい!」とか言うでもなく
ちゃんと聞いていました。(何度も読んだ本なので
ところどころ一緒に言葉を言ったりしながら。
久しぶりだったのに、ちゃんと覚えていたんだとビックリ。)
これからは、少し選んで読んであげよう・・・




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[2008/10/23 05:37 ] | ダウン症・障がい | コメント(2) | トラックバック(0)
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コメント
私の喜びは RYOの笑顔を呼び覚ませたことかな(*^。^*)
RYOの中に 桂さんのようなしっかりした言葉はあるかどうか分からないけど
やっぱり『感情や気持ち』はしっかりあると感じます。
私たちは よく RYOの表情や動きに言葉を乗せます。
それが当たっているのか 外れているのかも分かりませんが
それだけでRYOの表情は ただの表情ではなく
意味のある言葉になってくる気がします。
だから今のRYOは『きもちのこえ』ではなく『笑顔の言葉』かも知れませんね。

桂さんのブログも少し読ませていただきましたが
カメちゃんも紹介してくれている以前の養護学校の指導からすると
今のRYOたちの学校の指導は 体の訓練もあり、
表現など聞いたり見たり表現したりなどの授業も
充実している気がします。
そういった学校での取り組みを 更に広げてやれるのは
やっぱり家庭ですよね。
私も もっともっと会話したり 本を一緒に読んだりしたいと思います。


[2008/10/24 01:16]| URL | may #yErO6BWs [ 編集 ]
mayちゃんへ
本当にRYOくんは表情が豊かですよね。
ちちさんがほほをすり寄せた時の、とびっきりの笑顔は
忘れられません。その笑顔もだけど、その瞬間の
表情の変化の大きさにも。
そうやって、「嬉しい気持ち」や「楽しい気持ち」を
表現できることで、どれほど多くのことが
まわりに伝えられているか、なんか改めて感じました。
笑顔だけでなく、学校での態度と家での違いや
いろんなところで、RYOくんが、周りの状況をわかり
それによって反応が違っていることでも、
確実に、RYOくんの内面が育っているのがわかりますよね。
そうやって、気持ちをしっかり育ててきたのは、
これまで、ははさんちちさんが、RYOくんに常に話しかけ
愛されていること、生きていることの喜びを伝え、
いろんなこと体験させてあげてきた、その積み重ねによるところが
大きいと思っています。それが、桂さんへのお母さんの働きかけと
重なるのですよね。アイもそうですが、いわゆる「知的ショウガイ」
と言われる人たちは、桂さんのように、はっきりと言葉では
自分の思いや体験を持ってはいないかもしれないけれど
(RYOくんのように言葉が出ない人の場合は、知的ショウガイが
あるかどうか自体もわかりませんよね。桂さんだって、ずっと
何もわからない人と思われていたわけですし)
でも、mayちゃんの言う通り、感情や気持ちだけは
しっかり育っていることは感じます。
それをいかに読み取ろうとするか、まわりがわかってあげるかで
その子が認められたという思い、生きている喜びも生まれ
それが生きる力になっていくと思います。
それをmayちゃんたちは、ずっとやってきたから
多くの人が、その軌跡と奇跡に感動し、力をもらうのだと思います。

RYOくんの学校もまた、素晴らしいところですよね。
ブログを読んでいると、本当に多彩な活動をしていて
この子たちのいろんな感性を可能性を育ててくれようと
しているのが伝わってきます。決まりきった「訓練」だけでなく。
それもまた、RYOくんにとっては、よい刺激になって
いるのでしょうね。
アイもいずれお世話になるであろう養護学校(特別支援学校)
どこでも、ぜひ、そういう幅広く豊かな教育をしてほしいです。

[2008/10/27 05:47]| URL | カメ #1CgDq8ng [ 編集 ]
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