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「オッチ」
兄ガメの学校は、今年創立30周年(まだ若いですね!)で
10月には、いろいろ記念行事が目白押し。
その一つで、親子で鑑賞する映画会が行われた。
平日なので出られないと思っていたが、
午後の授業を時間割変更して、別の日に振り替えてもらい、
なんとか間に合った。

映画のタイトルは「空を飛んだオッチ
リンクをつけたので、先に映画の紹介を読んでしまった方も
いるかもしれないが、もしこの映画を見る機会があるのなら、
そこにも「ネタバレの可能性あり」とあるように
ストーリーは、前もって読まない方がいいと思う。

映画評論家でもないし、多くの映画を見ているわけでもないので
映画作品としてのできはよくわからないが、
子どもたちや、一般の大人にとっては、
もう一つ、言いたいことが伝わりきれてないというか
疑問を残して、考えさせる、というのも、
一つの方法だとは思うが、
問題提起だけして、ストーリーとしての「結」の部分が弱いのは
一般受けしないというか、ちょっと難しかったかも。

実際、低学年の子どもたちは、途中飽きて
少しざわついた時もあったし
大人たちの中には、寝ている人も
ちらほら見られた。

それは、ある少年が、突然空を飛べるようになったという、
その昭和初期の郷愁を誘う田舎の風景とは、
結びつかないような、とっぴな設定なのだけれど
それは、一つのことを象徴しているのが
私には、最初からわかって、
みんなが退屈そうな中で、一人涙したりしていた。

みんなができないことができる、主人公オッチと
みんなのように歩けない少女まりっぺの共通点。
どちらもみんなからはずされ
時には、いじめられる。
まりっぺ自身の言った言葉「おかしな二人」

そこに、ショウガイや差別を重ねてみた人は
どのくらいいただろう。

オッチのばあちゃんは、先生方に困ると言われた時
「空を飛んで何が悪いのですか?
 人ができないことをするというだけで、
 悪いことなんですか?
 誰も答えられないような問題を解く天才少年は
 どうなんですか?同じでしょう?」
そう反論する。

でも、最後の方で、オッチのような「変な」子は
いてもらっては困ると、学校に集まった保護者たち。
「一人のために、みんなが迷惑したり
 かきまわされたりしていいんですか!」
そう怒る母親。

思わず、アイが普通学級に入ったら
程度は違え、そう思う保護者も多いだろうと
考えずにはいられなかった。

今のPTA会長は、ダウン症Tくんのお母さん。
この映画を選んだ理由が、私には痛いほど
伝わってきた。

でも、残念ながら、映画は、問題提示をしただけで
結論を出さずに終わってしまう。
もちろん、適当なハッピーエンドで終わっても
それこそ、絵空事になってしまうから、
ということもあるだろうけど。

だから、胸に痛みを残したまま
なんとなくみんなすっきりしない心持ちで終わって
感想は「よくわからなかった」・・・

ちょっと変わった子、
みんなと同じ事ができない子
それを逆に、「みんなができないことをできる子」という設定で
それを受け入れられない人々の心の固さを
風刺した映画だったと思う。
私には、映画の意図はよくわかったけれど
子どもたちや他の親たちにどれほど伝わったか
様子を見ていると、やや残念な映画だった。

帰ってきて兄ガメに聞いても
予想通り「う~ん。よくわからなかった。」
もっと掘り下げてやろうかと思ったけれど
私が説教くさく言うのも違うかな、と思ってやめた。

ただ、その映画の風景は、岐阜の高山や郡上で
撮影されたものということで
なんとなく「懐かしい」気持ちがしたのは
そのせいだったかと、ちょっと嬉しかった。


* * *

映画とは関係ありませんが、この連休は
三日とも野球の試合でまたしばらく書けそうもないので
ちょっと運動会の後日談。

アイが玉入れの時、最後の方でちょっと
泣いているのは、カメラ越しにもわかったのだけど
また、隣の子とぶつかったか、ちょっと転んだかして
泣いているのだろうと思っていました。
アイは、少しぶつけても泣くから。
(「いたいのいたいのとんでけ~」ですぐ泣きやむけど)

その時もすぐに泣きやんだので
それっきり、そのことは忘れていました。

それが月曜日になって、
担任の先生と運動会の話になった時
「アイちゃんたら、玉入れ終わって数えている時
 自分の赤組が負けたとわかって、泣き出したんですよ。
 気付いてました~?」と言われて
「えー、泣いてたのはわかったけれど
 どこかぶつけただけだと思ってました」
「違いますよ。白組の方がたくさん玉が入っていて
 白組の子たちが喜び出したら、急に泣いたんです。
 意識の高さに驚きました。」とのこと。

へえ~。負けたのわかったんだ。と感心したり、
やっぱり負けず嫌いのとこ強いなあ、とおかしくなったり。
まあ、その負けず嫌いのところを、うまく生かして、
いろんなところ伸ばしてあげられるといいなと思います。

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[2008/10/10 06:02 ] | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0)
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コメント
アイちゃん スゴ~イ♪
玉を最後まで数えなくても、途中で「負けた」と気付いたのですね。
「悔しい」という気持ちが沸いたのですね。
次は頑張ろう!もっと頑張ろう!という思いにつながりますね。

Mayuも、ちょっとしたことでオーバーに痛がります。
パパから「痛ない!大げさ!」と言われて
「いたいの いたいの とんでけ~!」すると
ケロっと痛いのがなくなってるみたい。
そんなに簡単に治るのかと不思議に思ってる私です。
[2008/10/14 00:04]| URL | ウッキィ~母 #- [ 編集 ]
ウッキィ~ちゃんへ
やっぱりMayuちゃんも、「いたいの いたいの とんでけ~!」
で、すぐ治るクチなんですね。
うちも、たいして痛くない時にも大げさに泣きますが、
逆に本当に痛そうな時でも、「いたいの いたいの とんでけ~!」
をやると、そんなすぐに痛みは取れないだろうと思っても
泣きながら「なおった~」と言ったりして、
そういう時はかわいいですけどね。
最近は、ばんそうこうを貼ると「治った~」になって
傷もないのに、やたら絆創膏を消費しています・・・

「悔しい」という気持ちを感じたことに、成長を感じて
ちょっと感動したけれど、その「悔しさ」がまた
次に頑張るための、大きなエネルギーになって
さらに成長できたら、嬉しいですね。
でも、ふだんは、人の様子など関係なしの
相変わらずのマイペースですが・・・
[2008/10/14 22:31]| URL | カメ #1CgDq8ng [ 編集 ]
この頃 とっても感じる事があります。
どんな障がいの子でも 親の前とは違う顔を
良い意味でも悪い意味でも持ってるっていう事です。
RYOは 使い分けなど出来ないだろう・・・なんて思う部分もあったのですが
ちゃんと 使い分けをしているんだなと感じる部分が増えました。
みんなといる時、大人といる時、小さい子といるとき・・・など
気付かれないような小さな違いかも知れませんが
違うんですよね。
だから ある意味 アイちゃんは みんなの中では
悔しいという気持ちが芽生え、家庭では感じない気持ちが
湧き上がったのではないでしょうか。
次々と期待してしまうと思いますが、きっと 悔しいという気持ちも
いくつも積み重ねて 次のステップに進んで行くのではないかな?
先生たちの細かな観察 ありがたいですね!
親の目と たくさんの人の目で認めてもらえるって
ありがたいですね。
来年の運動会では どんな気持ちがアイちゃんの中に沸きあがるか楽しみです!

ホントは 誰一人同じ人間なんていなくて
みんな ちょっとだったり たくさんだったりするけど
違うんだよね。
出来ることも 考え方も。
この頃、そういう違いを認められない人も 認めて(というか まずは肯定して)から
受け入れるのがいいのかなぁなんて思ったりしてます。
その後の働きかけは大事だと思うけど。
自分も違いを持った 一人なんだよねぇ ホントは。
でも 集団になると 難しい問題だね。
[2008/10/16 00:32]| URL | may #yErO6BWs [ 編集 ]
mayちゃんへ
そうですね。大きくなるにつれ、子どもは、親の知らない面
親には見せない面、というのが出てくるものなんですよね。
それは、本人が、親といるときの気持ちの持ち方と、
みんなの中にいる時とでは、やはり違うということも
あるでしょうし、また、親には気付かないところを
他の人が見ていてくれるということもありますね。
だから、親だけじゃなく、いろんな人の目で見てもらい
育っていけるといいんでしょうね。
これから、どんどん親の知らないアイが増えていくのが
楽しみでもあります。
RYOくんも、家での様子と外では、随分違うということも
増えて来ましたよね。やはり、周囲との関係とか雰囲気とか
そういうものが、よりわかるようになってきた証拠でしょうね。
アイの場合は、人前に出たり慣れないところでは、
下を向いてしまうけれど、それも、何かいつもと違うと
感じてのことなんだと思うと、それもまた一つの
成長過程だと思えます。
(親としては、早く次のステップに進んで、人前で
注目されるのがカイカンになってくれるといいなと
思いますが・・・それも高じるとまた悩みそうですけど)

できるとかできないじゃなく、
ショウガイがあるとかないとかじゃなく
本当は、すべて「違い」に過ぎないんですよね。
みんな誰でも一人一人違うのに
その違いが目立つ存在を、なかなか
受け入れられなかったりするんですね。
でも、まずは、自分がすべてを受け入れることから
始まりますね。ほんと、あの人は違いを認めない人だと
自分の心からはじいてしまったら、そこで
関係性も発展も終わってしまうけれど
どんな人に対しても、心を閉ざすことなく
受け入れ、その上で働きかけていくことで
また何か変化が生まれるかもしれないですもんね。
そういう、mayちゃんの、人に対する姿勢
一番学びたいところです。
私もつい、人を批判するだけで、自分も結局
相手を否定していることに気付かない、なんていう
愚かなことをしている時があるのでね。

この映画のよくわからない終わり方に対して
あるおばあちゃんが、「オッチは最初木から
落ちた時に死んでいて、でも、みんなに
大事なことを教えるために、ああいう形で
出てきて、みんなが悟ったところで消えたんだよ」
と言っている人がいたとか。
最初そんな解釈は・・・と思ったけれど
そうやって、みんなに考えさせ、オッチの存在意義を
やはり意味あるものに思ったということ自体が
この映画をやって良かったのかなと、思いました。
よくわからないから、いろんな人に意見や感想を聞いた
というお母さんもいたしね。
やはり何でも意味のないものなんてないんですよね。
まずは受け入れる、そこからですね。
[2008/10/16 06:40]| URL | カメ #1CgDq8ng [ 編集 ]
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